labfut

頭の中の整理のためと日々の考察。対話によるアイデアの伸展と行動の拡張を大事にしたい。

beau mont bleu

 哲学というものに大学で初めて触れ、何か特別感を得たような勘違いに襲われ、自らが崇高な奴になった気がして、世の中を斜に構え見だし、そのうち踏み外し、心身を壊し、うまくいかず、とまぁ、哲学を悪者にしてしまえば話は早いのでですが。

「私」というおるのかおらんのか、これ、わからない謎の物体の稼ぎは年齢をおうごとに、無くなってきており、今や貧困の絶頂というような日々があるわけでございますが、困るのは家族でありまして、可哀想なわけでございます。今はですが。神戸市が臨時の教員でも呼んでくれたらええのにとおもいますが、もう何年もやっておりませんゆえ、教員とはどういったものかさえ忘れそうです。

 

 つまるところ結論を見出すための手段として哲学が存在すれば、もう少し早い段階でやりようがあったのかもしれないですが、生きようですね。飯の種にもならんもんですんで、捨ててもよさそうなもんですが、この年になっても後生大事に頭の片隅においとるわけです。

 うまく使えなかった私が悪かったということなんでしょうね。結局は。まったくもって得したことがありません。

 

 ややこしさが全面にでておりまして、嫌われる方がおおいのでございますが、そういった点では嫌われ慣れているといいますか、「相手にされんで普通」という箸にも棒にもかからんという特殊な力を得たわけです。

 そしてさらに仏教的な無私の私、さらに道教の言う現実世界の幻や虚ろいなどが輪をかけ私を思想のカオスに引きずり、クレイジーさを際立たせていくわけです。さらに教育心理学社会学の一端も加味され、もはや、ややこしいだけの奴。という自他共に認めてもいいのではないかというめんどくささ。

 

 ずるずるずるーーと、うどんを啜るが如く、ブラックホールに引きずり込まれる私は気がつけば別の宇宙へいっておるということなんです。なんのはなしやっちゅうはなしなんですが。

 

 まぁ死なんと適当に考えてやってます。

 

 その、人はどなたも皆いずれ死ぬわけですが、死ぬまでにする事を全部してから死んだ方がええわけでして、そういう意味では、今も死ぬ前の行いなわけです。

 死ぬ前に人間は色々わかるらしいですが、今も、まさにこの今も、死ぬ前なので、なんや分からんけどわかっとるということです。死を前にして我々人間はどう居ればええか。それは実は各々がようしっとうわけですね。

 

 ソフィはハウルカルシファーに会う約束をしてたので、時空もなにも無視して会いにいくわけなんですが、私たちもおそらく時空も何も無視して会いに行ってるんやと思います。約束をしたんだと思いますよ。

その昔。というか遠い未来に。時間軸はわかりませんが。そして、その約束を果たしに僕は生きるわけです。

それもなんのはなしやねんということですが。一曲。

 

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僕はズンズンいくんですー。道をまっすぐどこまでも。道が三つに分かれたら好きな一つを進みます。

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「鳩を飛ばせにいくんです。」という唄の歌詞です。

 

 

最近、常識も社会も時空も私も大体ありそうなものに固執するのをやめだしております。おそらく、死ぬ前にすることをするだけなんでしょう。

 

ありがとうございました。頭ん中整理できんほど色々いれてますが、親が死んでからにしたいもんです。では。