キリスト教ではないとおもいますが、たまに祈ってしまった方が早いのかもしれないと思うことがあります。
色々できてしまう怖さというのを前回かいたのですが、どうやら心理学かなんかではヨナコンプレックスという用語があるらしいです。Wikiってみたんですが、旧約聖書のヨナ書という書から名付けられているらしいです。
ヨナ書のヨナなんですが、ざっくりあらすじをいうと、(これもWikiってます。)預言者ヨナは神からのお告げを人々に言わんと逃げ回ってて、苦難にあっていた。観念して人々に言うたら言うたで、皆さん聞いてくれたけど、結局神のやり方にケチつけて、またひどいめにあわされ、言いくるめられるみたいな話です。
だいぶざっくりですね。
一般的なヨナコンプレックスという語は成功することへの恐怖や逃避をいうらしく、人間はなぜか自らで成功することや、より良くなることを嫌がる精神状態を持ち合わせているらしいです。とにかく様々なチャンスに実はめぐりあっているのに何一つ事をなさい自分はコレだなと切におもうのです。嫌らしいです。僕は。
成功すること、豊かさを手に入れる事、夢を叶えること、自分をよくする事、このポジティブな側面に対して素直に行動に移すことができないのは、おそらくその目標や夢が安直であればあるほどそれにともない恐怖心が大きくなるのでしょう。
つまりは、夢や目標が叶うのが怖いのです。
変ですね。人間は。
ゴール前でパスをだしてしまう、昔の柳澤です。シュートうてばいいんですよ。ほんとは。入るのに。そこで後ろにパスしたらあかんのですよね。
「できる自分」になる事がどうやら怖くて、成功したいという素直な気持ちをひねくれてディスってしまい、「できない自分」から出てこないようにしてるんですね。「できない自分」の方が楽なのかもしれないです。
何も出来ない自分。を呪うのではなく、できちゃう自分を怖がらずにしれーとやっていきましょう。
人間はやっぱり変です。
できる事への変な抵抗感はそれだったんですね。
ヨナ抜き音階がいいかもしれません。
「できたくない。」とたまに子どもが言うてそうです。「できたい。」方がいいですね。